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音楽との出会い

[うっかりしていました。
以前に送って頂いたメールを掲載していなかったのです。]osome


浅香さんのページです
音楽との出会い(その1)

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母は古い蓄音機でよく音楽を聴いていた。戦前のSP盤のレコードが家に沢山あったが当時これらのレコードの大半は母が集めたものであったように思われる。

今それらのSP盤は何十年と聴くこともなく一部が二階のレコード入れの中に眠ったままだ。

中でも母がよく聴いていた曲の中でバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」は私の印象に強い。

「お母さん、バッハの曲はどれもこれも糸を紡ぐような旋律で僕には良さがよく分からない。」

「そう!いまに分る時がきっと来るわよ。」

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高校時代、私は野球と映画に明け暮れていたが1947年製作のアメリカ映画「カーネギーホール」が日本で封切られた。「カーネギーホール」については後述するが、この中に登場する大ピアニスト・アルツール・ルービンシュタインの言葉の中に

「1にバッハ、2にバッハ、3にバッハ、音楽の終局はバッハです」・・・と述べている。


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レオポルド・ストコスキー



「よーい、ドン」・・・の高井先生の合図で一斉にテスト。100問の曲名に作曲者を当てはめるテスト。中学の時である。負けるものか!「故郷の廃家」「ユーモレスク」「ローレライ」「白鳥の湖」「オールド・ブラック・ジョー」・・・など1例だ。半分以上曲は分からなくても丸暗記だ。でも次第に曲名とメロディーは結びついていく。


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経堂の家の隣は川島さん・・・勝ちゃんという一つ年上の仲の良い友達がいた。立教大学で長島と一緒だったようだ。日曜日の朝になると隣の川島さんの応接間から朝のすがすがしい雰囲気の中で素敵な音楽が流れてくる。母と一緒に「何という曲だろう?」・・・やがて分かったが「ベートーベンの交響曲第4番」・・・勝ちゃんのお母さんが大好きな曲だった。今でもこの曲を聴くたびに勝ちゃんのお母さんを思い出さずにはいられない。

高校時代、学校の主催で日本放送交響楽団(現在のNHK交響楽団)を招いて講堂でベートーベンの第九の演奏を開いた。指揮は当時のビオラの奏者で著名な貝増善次郎・・・独唱者は残念ながら4人とも覚えていない。アルトは佐々木成子だったかも?演奏の始まる前に生徒のざわつきで注意されたことを覚えている。学友の矢浪哲夫(今は故人)は楽譜まで持参する始末。



慈恵医大の教授・赤羽武夫先生・子息の赤羽紀武とは幼稚園時代からの友人で二代続いて慈恵の教授。小学校6年の時父の赤羽先生に連れられてコンサートを聴きに日比谷公会堂行った。全体をはっきり覚えていないが、指揮者の尾高尚忠(今の尾高忠明の父)が冒頭から長い髪を振り乱し・・・運命はかく扉を開く・・・とベートーベンの交響曲第5番を奏でたのは子供心に強烈な印象だった。慈恵は昔から音楽の盛んなところで日本放送交響楽団とは特別な結びつきがあったらしい。

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近衛秀麻呂



母は若い頃近衛秀麿の合唱団に少しの間所属していた。母が家でよく歌っていた歌は「この道」「からたちの花」「故郷を離るる歌」「赤とんぼ」「賛美歌の312番」などでした。



親友の東好宏さんの奥様のお父さん・・・宗 孝彦氏(すでに他界されている)・・・日本モーツアルト協会の会員でした。モーツアルト協会の会員はモーツアルトの作品の数だけの人員しか存在しない・・・という貴重なものである。

モーツアルトの作品は他の作曲家と違ってケッヘルいくつ・・・という番号で作品が整理されている。詳しくは知らないがケッヘルという人がモーツアルトの作品を整理して番号をつけたらしい。それは500番台にものぼる。一例ですがあの有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」はK(ケッヘル)525、ジュピターはK551となっています。

宗のお父さんとはお会いするたびに音楽、映画、写真などについてご教授いただきましたが、亡くなられて寂しい限りです。


経堂小学校を卒業すると同じ小田急の沿線の玉川学園に入学した友達が何人かいた。玉川学園の当時の園長 「小原国芳 」は有名な自由教育の教育者で幼稚園から大学まで一貫していた。

聞いたところによると学園全体に24台のピアノがあり誰でも自由に練習が出来た。そして終戦後日本に3台しかなかったパイプオルガンの一つがこの学園にあった。

入学した友達達は4人揃えば「第九」を口ずさむことが出来るくらい芸術の盛んなところだった。


アメリカ映画「忘れじの面影」・・・監督はマックス・オフェールス、主演はルイ・ジュールダンとジョン・フォンティーン・・・。

この映画全体に流れる叙情的な旋律、僅か8個の音符で構成されたこのやるせない旋律は随所、随所で繰り返され恋愛映画のシーンを盛り上げた。

でも、でも、実はこの素晴らしいメロディー・・・20年も口ずさんできたけれど、誰の作曲なのか?何という曲なのか?長年心がもやもやしながら謎だった。

私はいつものように城南支店に通勤の朝の総武線、イヤホーンで朝のFMに耳を傾けていると何ということだろう!長年疑問だったこのメロディーが流れているではないか。

うるさい電車の音を後に曲名を聞き逃さないように耳を済ませる。・・・それは・・・リストの「演奏会用練習曲」の3部構成からなっているその中の一曲「ため息」という曲だった。長年のもやもやした気持が一気に吹っ飛んで、その日会社の帰り自由が丘のレコード店に寄ってCDを買って帰ったのを覚えている。

それから月日が経過し今から3年ほど前になるが佐倉の老人ホーム・白翠荘の一角のティールームで知人とコーヒーブレイクをしたことがある。満開の桜の花が白翠荘の広い庭一面に咲いていた。ふと!バック音楽が耳に入る・・・まさにこのリストの「ため息」だった。空かさずお店の人に尋ねた。・・・フジコへミングのCDだった。私はさわやかな気分でこのティールームを後にした。

千葉県山武郡松尾町に愛誠堂薬局というチェインストアがある。当時メリットと推進会の中間くらいの実績だった。このご主人も音楽に関しては目がなく「3度の食事を抜いても音楽から目をはなさない」・・・奥様の言葉。

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「浅香さん、フランスやロシアのピアノ曲はドイツ音楽にも勝るとも劣らない素晴らしいピアノ曲が沢山あります。ドビュッシイやラベルなどはある程度聴いてはいたが、ご主人に貸していただいた推奨盤のレコードはプーランク、デュカス、スクリアビン、フォーレなど・・・特にスクリアビンに関してはたとえようもない素晴らしい音楽だ。特にピアノ協奏曲 嬰へ短調Op20などは聴いていてぞくぞくする曲の一つです。初期の代表作ですがセンチメンタルな神秘的和音は夜更けの雨音と共に静かに聴いていると・・・戦後母と新宿の地球座で見た初めてのロシアの総天然色映画「シベリア物語」の風景の美しさが55年たった今も頭の中を過ぎります。

今ごろ愛誠堂のご主人はどうしていらっしゃるでしょうか?

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ヨハネス・ブラームス



中学から高校に進学すると私の席の隣が梶谷剛さんという生徒だった。喧嘩するほどの仲良しになったが、この彼は大のモーツアルトとブラームスのファン、そしてブルーノ・ワルターを崇拝していた。そんなこともあって彼とは映画「カーネギーホール」を重ねて観に行った。

「浅香!ブラームスの2番、3番を耳にたこが出来るほど聞き込んでみろ!・・・毎日のように喧嘩腰でうるさく云われた。私は経堂、彼は明大前・・・家が近かったせいもあり下校の毎日は彼と殆んど音楽談義だった。映画「カーネギーホール」の中でストコスキーが演じた(他の指揮者の場合はタクトを振った・・・と表現するでしょう。ストコスキーは10本の指の魔術師・ノータクトですから)チャイコスキーの5番を二人で口ずさみながら・・・。

なるほどⅠ番と4番はスムースに中に入れたが2番、3番は相当聞きこまないと・・・という感じだった。音楽に関して彼に負けたくないという気持も手伝って徹底的に聞き込んだ。そして今、大作曲家ブラームスの偉大さとその内面に秘めた綺麗なブラームスの音楽(旋律)を理解できたのも彼のお陰かも知れない。

定年になってからまた会社のご好意で約8年間マツモトキヨシを担当させていただき、多くのマツモトキヨシの従業員の方々と楽しく仕事に従事することが出来ました。

あるとき 八千代市民会館に八千代交響楽団の定期演奏会を聴きに行ったとき、ぱったりマツモトキヨシのアルバイトの従業員さんにお会いし、それ以来お店で音楽の話をするようになった。話を聞くとベルリンフィルが来日したとき3万円のチケットを購入してコンサートを聴きに行ったという。「凄いですね!驚きました。」・・・「でも、浅香さん!あれは私の心の財産です。」

なるほど!そういえばこの私も戦後敗戦の経済の混乱の時代に安月給の父にわがままをとうして「ヒッシュ」や「カラヤン」を夕暮れ時の日比谷公会堂に聴きに行きました。余談ですがそのころ日比谷の交差点に新しい斬新的な日活国際会館というビルが建ち(数年前老朽化の為取り壊し)・・・地下のナンシーという当時のおしゃれなレストランで300円のカレーライスを食べてコンサートに望んだものです。これも私の心の財産でしょう。

またある店長はワーグナーの大ファン・・・「ニュールンベルグの名歌手」や「ローエングリーン」を聴いていっぺんに魅了したらしい。そういえば今私が働いている佐倉南図書館でも少数ですがワグナーのファンいて楽劇「ジークフリード」「トリスタンとイゾルデ」「タ

ンホイザー」などが時々貸し出されます。


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チャールス・チャップリンは優れたピアニストであり大芸術家でしたが自作の映画に使う音楽は殆んど自身の作曲でした。映画の中で演奏するバイオリストには「フランスのレースのようにバイオリンを弾きなさい。」そしてチェロ奏者には「老いらくの恋を奏でるように。」・・・と・・・・・・。
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by sazae322te | 2007-01-27 15:33 | 芸術の秋

浅香 忠



浅香 忠

私の父の名前だ。

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1月23日の朝刊に日本で始めてのノーベル賞に輝いた「湯川秀樹」の記事が載っていた。中間子論という学説で1949年、終戦から僅か4年の歳月を経ての受賞で敗戦国民の暗い気持の漂う中、明るいニュースだった。中間子論がどういうものなのか判らずに(今でも判っていないが)子供心に凄いことだと思い学校で手を取り合って称えた光景が甦った。



湯川秀樹・・・1907年(明治40年)1月23日生まれ、この日が生誕100年にあたるという。

私は記事を読んでいるうちに、あっと!声をあげた。上述の父が同じ明治40年生まれ、誕生月は3月24日だが・・・ああ!存命ならば・・・今年100歳・・・一気に父の顔、いや、顔だけではない、父に関する数々の思い出が私の頭の中でめぐりまわった。

いずれ父に関する備忘録を・・・と思っていたが・・・改めて頭中を整理して一筆書いてみたいと思う。

平成3年6月24日初夏の匂いが漂い始めた早朝、泉中央病院で私と徳子や孫たちに見守られ84歳の生涯を閉じた。

                       「慈信院釈忠明居士」
  
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by sazae322te | 2007-01-25 19:23 | 思い出

イーボ・ポゴレリッチ




大胆で個性的なピア二ズムで圧倒的な感興を呼ぶイーボ・ポゴレリッチの言葉を借りれば・・・、

ベートーベンのピアノソナタ第32番は彼が殆んど耳の聞こえない状態の中で書いた偉大な作品です。このソナタを聴くとまるで人間の声が語りかけているように感じるでしょう。第2楽章の深い語りかけは、殆んど宗教的です。」



30番のソナタからこの最後の32番まで続けて書いたとみえOPが109、110、111と連なっている。年明けからこの3つのソナタを繰り返し聴いてみる。(但しCDの盤はフリードリッヒ・グルダ。)

32番に話は戻るが、この曲はソナタの最後の曲で珍しく2楽章で構成されているが。特にシューベルトの交響曲第8番「未完成」のようなことではなく、ベートーベンの創作の意図があって2楽章で完成されている。第1楽章は荒々しく劇的な動機で展開する序奏で始まりドラマティックな主題を奏でる。第2楽章は複雑な変奏形式で心の世界を流麗なタッチで流れていく。・・・まさにソナタの終止符だ。

イーボ・ボコレリッチはこの度来日2回目だが一つの演奏会に対照的な曲を意識して演奏曲目に取り上げる。今回の大阪ではベートーベンの「24番、この32番のソナタ、」バラキレフの「イスラメイ」、リストの「超絶技巧練習曲」から3曲・・・そしてサントリー・ホールではショパンとラフマニノフが演奏された。

「もっている知識を日本の皆様に捧げたい思いです。文化、自然と側面においても日本を愛して止みません。日本は私に沢山のインスピレーションを与えてくれました」・・・と語っています。
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by sazae322te | 2007-01-24 19:15 | 芸術の秋

いまいちの写真が送られてきました。

どれも「これが無かったら!」とか言い訳たっぷりの写真です。
写真に対して鋭い感性をお持ちだから出るお言葉でしょう。
見て下さい。そう言われればそうだな~。。。と納得します(爆笑)。

        夕焼け崩れです。

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               電線が無ければね!
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     正月の2日,成田山です。もう少し陽光がはっきりしていれば!

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by sazae322te | 2007-01-08 18:30 | 脳の若返りのために